マザコン サラリーマン

昨日は日曜日だったので、さすがに会社はお休みでした。

今日は月曜日また車で帰っていますのでしゃべる機能のやつでブログを更新させてもらいます。

普段帰る時間は 8時 とかそこら辺です。
今日は早いです。18時20分に会社出た。
 愛媛県から母が遊びに来ているので早く帰りました。 しかしこれはあんまり早いと思います。 奥さんにマザコンだと思われるかもしれません。でもそんなの構いません。お母さんが日曜日の晩きたのですが、土曜日から日曜日まですごい気分がおちていて会いたくないという気持ちでした。 奥さんとうまくいってないし、植木屋になるという話が全然進んでいなくてカッコ悪いと自分自身を持っていたかもからだと思います でも実際着てみたら 全然楽しいですマザコンと言われてもしょうがないですでも 母はすごい明るくていい人だなと思いました しかしそんな母も実は植木屋になることは反対しています むしろ誰に話しても賛成する人はいません 唯一 応援してくれる人は 父そしてサッカーをしている友達か高校の友達 ぐらいですか 後東友香 弟は最初から面白そうじゃんという感じでした その他の応援してもらっている質屋高校の友達は最初は反対したしまいまも賛成なのか分かりません でもそんな人達とはお酒を飲みましたお酒を飲みながら話して 話したら父と高校の友達は 応援してくれるようになりました 一般的にという言葉は嫌いなのですが今この状況こそが一般的に みんな反対しているという状況です。

そんな八方塞がりな状況の中選択肢は3つあります1つが植木をあきらめて サラリーマンとして生きる もう一つは 離婚して植木屋になる最後は嫁を説得し植木屋になる この3つだと思います 絶対に そして今僕が目指してるのは3つ目の嫁を説得して植木屋になるという選択肢です そっちはどうすれば良いことやら

まだ家につかないので家族の自慢をさせてもらいます自分が自分で言うのもなんですが我が家はとても素敵な家族です 父は生命保険会社で定年まで勤めました 結構お金を稼いでいたようで出世もしましたお酒を飲むのが得意で牛のように食べくじらのように飲めと教わっていました 母は 4人兄弟の末っ子で あっけらかんとした 女です とても平和だと思います 優しい子 愛すべき人だと思います 心の汚れが少ないです 要領が悪く損をする性格かもしれません 忘れ物も多いです そして 子供が4人います私が 警察 長男で 次男は香川県で警察をしています 長女は大分県で薬局で働いていますそれ以上は岡山県で大学生一年生です 実家は愛媛県なので 子供達はみんな実家に残っていません バラバラです 全員揃うのは年に一度あるかないかという感じです 皆が揃うことは少ないですが みんなが揃うとよく笑い よく食べよく飲む 家族です家族は家族を好きなようです 子供の頃は 父のことが嫌でしたデブだし臭いし説教するし この人を反面教師にしようと思い 生きていました 高校を選ぶとき大学を選ぶとき会社を選ぶとき その全てで父が私の道を決めました その道は 間違っていたと思わないし その道はあるんで歩んできて 満足しています くそして大人になってしゃべってみると とても 元気のいい豪快な面白い人だなぁと思う ます自分の父親であります 今まで父の選んだ道ばかり歩いてきた と申し上げましたが そのそれぞれの分岐点にいた私は 選ぶ力がなかったのゆうか はっきりとした自分の使用 モテておらず 父の決めた道に反発する 力も ホモ 持っていなかったんだと思います でもでも僕の 根本にあったのはきっと 4年生の普通大学ではなく 芸術の大学であったり サラリーマンではなく 劇団を作ることであったり そっちの方に 僕自身は生きたかったのだと思います でもそれを 反対を押し切ってまで進む勇気もなかったし 根拠もなかったし 地震もありませんでした そして今30歳になり 植木屋 いよいよ 満を持して 植木屋に たどり着きました これは 今までの自分ではありません約8年間にわたり 自分で稼いだお金で生活をし嫁と子供を養い 家賃も何から何まで自分で自分の稼いだお金でやってきた チジニ それなりに辛い事もあり 乗り越えてきたし 世の中を見るメモ というより世の中を見てきた 自分の目で 今度は負けない 自分で選んでやる 選択肢が いじめられないよ 狭められないような道を選んでくれた もう十分だ色々見てきたそして本当の自分の気持ちを 見つけることができた 今家でも応援してくれているような気がする なんか面白がっている ちなみに父は今水素水を売る仕事をしている それはそれは楽しそうに やってやるぜいいぜ行ってやるぜ ところがどっこい 嫁と嫁の家族のストップがかかったので

思い出したというか、気付いた。自分の本音。

本日は土曜日、土曜日は隔週で出勤である。
午前中までで終わったので、寄り道して夕方まで一人の時間を満喫することにする。




もともと今の会社に定年まで勤めるつもりはサラサラなかった。

その気持ちはずっと変わらない。

そして昨日のブログを書いていて気付いたことがある。ワタシは会社を辞めるに当たって、奥さんの実家に甘えるつもりだったようだ。それもかなり早い段階でそう思っていたようだ。

ワタシと奥さんは、大学で出会い、付き合い始め、そのまま結婚した。奥さんは、生まれてから20数年間ずっと、大阪で、お父さんお母さんお姉さんおばあさんおじいさんと暮らしてきた。

結婚する前、ワタシは東京で勤めていたので、家族から奥さんと結婚することで、奥さんと家族をバラバラにしてしまう。ということを気にしていた。


ワタシの家は転勤族だった。その為、祖父母には、年に一回会えるか会えないかだった。
母方の実家が東京。父方は高知だった。

東京に転勤になったときは月に一度もないが母方の祖母の家に遊びに行った。ほんの数時間会うだけだか、毎回お昼にお寿司をとってくれた。

結婚前に奥さんが東京に遊びに来たときも連れていった。

とても喜んでくれた。

祖父は痴呆症で施設に入っていたし、祖母の話し相手になることは、ボケ防止にもなるし、今までできなかった祖母孝行ができている気がして、ワタシ自身も嬉しかった。

そのうちに結婚が決まり、奥さんと東京で新婚生活をスタートさせるのだが、奥さんの家族のために、特に祖父母のために、大阪に住むことがワタシの叶えたい夢の一つだった。

その後、社内で入社5年目シャッフルしようという試みが始まり、大阪で希望を出したワタシはあっさり夢を叶えてしまう。

奥さんが東京に住んだのはわずか一年間であった。

その間月に一度のペースで帰阪し、その都度泣いて東京に戻ってきた奥さんはなんだったのか。


そんな感じで、奥さんや、その父母と祖父母のため、大阪に住みたいのだとばかり思い込んでいた。

しかしその裏には、奥さんを実家に預けたら、自分は自由だ。もっと言えば、奥さんの実家や、祖父母に助けてもらいながら、自分の好きなことが(その時は植木屋という目標はなかったが、漠然と職人か、自営業をしたい)できるじゃんと思っていた。

実際、祖父母の住んでいる家は、のちのちワタシ達が頂けるものだと思っている。

ところがどっこい、いざ奥さんの実家で植木屋になりたいという夢を発表したのが、つい先月、猛反対を受け、撤退。

その後奥さんとの話し合いで、日曜日限定で始めても良いよ。という流れになり、それの許可をもらいに行くも、お話にならず。

なにしにきてん。帰れ。という空気の中、話を切り出すことすら出来ず、奥さんが導いてくれるも、義母号泣。

奥さんも基本的には、反対で、間に挟まれ精神的にきつくなっており、その話はしばらくしないでってなもんである。

話が出来なくなったので、ブログに書いているって感じである。


昨日のブログを書くまえは、大阪に住みたい理由の裏に、自分の甘い期待が隠れていたことに気付いていなかった。

気付いみて思うことは、結構はっきりその期待はあったみたいだ。

そして、その期待は、ばっさり破り捨てられたのである。甘かった。

きっと、ばれていたんだろう。

さぁて、どうする。



※おじいちゃん、おばあちゃんが毎日孫に会えるのが、本当にいいことなのかは分からない。
半年に一度会えて嬉しい気持ちも本当だが、孫たちが帰るとほっとするという気持ちも本当らしい。
やっぱ疲れるみたい。


なぜブログを始めたか

昨日の続きデス ブログを始めた理由 ガ 植木屋になるためだ というところまで書きましたがそれでは意味が分からないと思います 私は 結婚3年目で 子供が1人います 2009年に今の会社に入社大学も就職もストレートで入りました 悪い言い方をすれば どこにも引っかからず 順調に レールの上を 歩いてきました 普通の 理想の 今までは レールを歩いていました 今の会社もなんとなく頃親の勧めで受けた会社です そこだけ受かったので入社しました 就活の時は社会人 サラリーマンになりたくなく 劇団を作りたいと思っていました でも当時から付き合っていた僕今の奥さんに就職しないと別れると言われ別れたくなかったので就職しました それが良かったか悪かったかは置いといて とにかく今の会社で死ぬまで働こうとは 思っていませんでした しかし そんな半端な気持ちで 入社し 1年間 神戸での研修を終え 東京に配属されました奥さんとは大阪の大学で出会いました 東京に 戦ごめんいましたがその間は遠距離恋愛でした 2012年に結婚し 2014年に大阪に転勤になりました 結婚して一年は奥さんと東京で暮らしました でも 奥さんは 奥さんのおばあちゃん 実家のお母さんと仲が良かったので私はいつか大阪に住みたいと思っていたところ大阪 への転勤が決まりました もちろん奥さんのために大阪に住みたいというのもありましたが 大阪に死ねばいい 今の仕事を辞めて何か自分の好きな仕事につかしてもらえるものだと 淡い期待 もあり希望していたのですが そして見つけた植木屋という仕事しかしそれに大反対されているそんな状況です 自分の 夢を語っておりますかっこうざい 奥さんはもうだいぶうんざりしていますし 下手したら離婚という話も十分あり得るような感じになってきました それでも私はその自分の夢を諦められずにいます という花植木屋になることは自分の中では決まっています 正直今打つ手がないですそんな状況ですし歌詞 植木園になれるもんだと僕は 思っています そのために何をすべきか そのために何をすべきか今わからない状況ですいろんなブログを読んだり本を読んだりしました奥さんに毎日話をしたりしました というより駄々をこねました それでも 向こうの家族の猛反対回り今正直手詰まりです ただなんとかなるもんだという気持ちはありますそこでブログを始めますこのブログが役に立つのか分かりませんが自分の記録としてそして同じ状況 余興にいる人のヒントになればいいなと思っています 何を選んでも答えは書いていなかったのですが状況を説明しています このブログが同じような状況のためになるか分かりませんが リアルタイムで話していけば何かヒントになると思います また自分が後から読み返しても面白いと思います このブログが植木屋になるために 始めた者ですが なぜこのブログを始めたか その答えは植木屋になるため と書きましたが本当にブログを書くことが 植木屋になることにつながるとは 考えにくいですが でもこのブログは植木屋になるまで続きますので 何が 痛いのかよく分かりませんが植木屋になった時にはこのブログのおかげだと言ってみようと思います

今日は車で帰ったので喋った言葉を文字にする機能でブログを書きましたので何故かですます調になってしまいましたまた次からはである調にしようと思います 以上

ブログ始めました。

ブログを始めることにする。

わたしは大阪市港区に勤めるサラリーマンだ。

今日から毎日帰りの電車でこのブログを更新していくことにする。

飲んだ日は、更新しなくてもいいことにする。すごくおセンチで音楽を聴いて帰りたいときは、無理して更新しなくても良いし、忘れれても気にしないことにする。

人が読んで分かりやすい文章を心がける。

読んだ人が元気になったり、笑えたりする文章が書けたらイイケド、そんなレベルではない。

まずは読んだ人が理解できる文章を書くことに集中する。


それでは、本題に入る。
一回目のこの記事には、なぜブログを始めたのかを記しておく。

植木屋になるためである。
















この先どう書いたらいいか、書いては消し、書いては消してたら、駅に着いてしまった。

時間だ。

ちなみに通勤時間は、約50分だ。
明日もブログを書く。
楽しみだ。